緒方三社 川越まつり
緒方三社まつりである川越まつり。
久土知の一の宮社、原尻の二の宮社、上自在の三の宮社の三社はいずれも郷土の武将【緒方三郎惟栄】が建てたと伝えられています。
一の宮社には仲哀天皇(父)、二の宮社には応神天皇(子ども)、三の宮社には神功皇后(母)が祭られています。
川越まつりは、一の宮社の神輿と三の宮社の神輿が二の宮社に集まるものです。
つまり父の仲哀天皇と母の神功皇后が、子供の応神天皇のもとへ行き、3人で楽しく過ごすわけです。
この時三の宮社の母神功皇后は川を渡らなければなりません。
お渡りは毎年 旧暦の10月15日16日に近い土日と決まっています。
神輿を担ぐ、ふんどし姿の若者たちは凍てつく寒さに耐えながら参道である川に入り緒方川の中に立つ鳥居をくぐり二の宮社へと向かうのです。
若者たちが川を渡る姿は勇壮ですよ!
川越まつりはなぜ始まったのか?
今から800年とちょっと前のこと。源頼朝の家来だった大友能直(よしなお)は、頼朝から豊後の国の支配を任されました。その能直にとって邪魔者がいました。
その人とは、大野泰基(郷土の武将緒方三郎惟栄の一族)でありました。
泰基は大友軍に責められ朝地町の神角寺に立てこもりましたが、能直の兵古庄四郎重能に見つけられ打たれてしまいました。
ところが、緒方三郎惟栄の怒りだったのでしょうか、その後原尻の滝で洪水や暴風雨が相次ぎ、これから先に不安を抱いた大友能直は原尻の二の宮社に緒方三郎惟栄と大友泰基の霊を祭ったといいます。
これが川越まつりの始まりと伝えられています。
(緒方の文化財参考)